スタッフブログ
【宅建勉強会の軌跡】第17話
~宅建勉強会はその後も続く~
翌年の宅建勉強会では、このTさんが講師となった。
勉強会の進め方として、以下の内容であった。
2月~5月までの4か月間 → 全範囲の講義
6月~7月までの2か月間 → 各セクションの過去問勉強と腕試しテスト
8月~10月本試験までの2ヶ月半 → 2万円テスト10回
この8月~10月本試験までの【2万円テスト】とは、【模擬試験】で、
生徒の中でトップを取ったら【2万円を報奨金としてもらえる】という画期的な制度。
それが10回チャンスがある。
模擬試験も、市販されているものから有名塾の模試も利用している。
本番を想定した本格的なテストだ。
2月からの全範囲の勉強は、本試験の問題順に始まった。
最初に【権利関係】からとなる。
【ほぼ忘れている・・・】
客観的に自分を振り返ってみる。
12月の合格発表で不合格と分かり、反省。
【気持ちを切り替えて、いまの時期から勉強するぞ!】と意気込む。
それなのに2月の勉強会開始まで全く勉強しない。
普通では考えられないが、現実に起こっている。
【意気込むこと】で【やった気になって】いる。
これが私の本性だ。これは一生付き合っていくものなのか。
いや、切り替えなければならないと思いつつ、どうしたら良いか。
克服しなければならないと思うのは、数年先の【講師になってからの】話だ。
まだまだ成長への先は長い。。。
【宅建勉強会の軌跡】第16話
~続・宅建勉強会参加~
住宅比較株式会社に入社した。
仕事内容は、以下の通りだ。
・ハウスメーカーの土地から探しているお客様のヒアリング
・物件情報検索
・土地ご案内
・役所調査
・重要事項説明書の作成
社長は、私が最初から上記が出来るものだと思っていたが、私はとても怖く感じていた。
今までは、住宅展示場にご来場したお客様に対して接客してご契約をすることがメインだったが、これからは、【ハウスメーカーさんがご集客してくださったお客様が、そのメーカーで建築するための土地探し】をメインとすることになる。
お客様が、【エンドのお客様】と【ハウスメーカーさん】の2手になる。
その上で、お客様から信頼を得るにはどうしたら良いか。
勉強しなければならないことが多くなった。
エリアの知識、不動産の知識、ハウスメーカーの特徴。
社長のお付き合いのあるハウスメーカーさんの商談に入らせて頂いた。
そこからご紹介いただいたお客様にヒアリングをさせて頂き、土地をご紹介する。
私は展示場の店長をやっていた経緯もあり、建物の間取りについて、知識はある。
ハウスメーカーの若手営業さんがお客様から間取りの質問をされた商談があった。
その知識がなかったようで、何だか煙に巻くような話し方をしていた。
そこで、私が間取りをその場で描いてしまい、後日そのハウスメーカーの所長に怒鳴られた。
「あなたの仕事は何ですか?土地を決めてもらうために来ているのですよね!!」
ごもっともだ。大反省した。
そうだ、不動産のプロにならねば・・・。叱ってもらって大変有難かった。
住宅比較社員のTさんは知識を多く持っているが、宅建資格を持っていなかった。
Tさんには、役所調査のやり方や重説の作り方などを教えてもらった。
Tさんから「宅建は持っていなくても土地案内出来るし、特に問題ないよ」と言われた。
またまた心の中で悪魔がささやいた。
週1回の宅建勉強会はしっかりやろう。Tさんと同じペースでやっていこう。
普段よりは勉強していたつもりだったし、日々の仕事が宅建の内容なので、
そのまま進めていれば大丈夫だと思っていた。
今度は2点差で不合格だった。
Tさんはちゃっかり合格していた。
世の中、そんなものだ。甘くない。
【宅建勉強会の軌跡】第15話
~住宅比較株式会社へ入社~
私は、35歳を機に今後の人生を考えていた。
営業10年目の節目に営業を離れて、販売企画部に異動となっていた。
営業経験を買われ、内勤となった。
日々、細かい数字を追ったり、イベント計画したり、会議資料をしたりと、忙しく動いていた。
自分に内勤業務が向いているかどうかは分からなかったが、営業さんの行動を数値化したり、得意不得意を見抜いたりするのは好きだった。
【初回接客→商談→クロージング】が【各個人得意なところ】が違うことも分かった。
野球で言うと、【先発→中継ぎ→抑え】のようなものだ。
無理にやらせても難しいことも分かった。
営業をやりながらだと分からないこともあったと思う。
その点はその後の営業スタイルにも反映されていると思う。
ちょうど35歳で転職をするか、そのまま勤め上げるか、本気で考えていた。
営業としてもう勤めなくてもよいかとも考えていた。
もちろん、住宅比較株式会社のN社長に報告した。
【うちに来なよ】
【えっ・・・】
創業のパーパスはよく聞いていた。
ハウスメーカー営業さんがよりお客様のアフターフォローに時間を割けるように、ハウスメーカー営業支援を行う会社。
住宅・不動産を購入したお客様のアフターフォローが出来る会社。
確かに、営業をやり続けながら、営業支援が出来るようになるのは、私にとってやりたいことなのではと思った。
自分がどこまで出来るか、実は自信がなかった。
10年後のあるべき姿が見えなかった。
言葉を変えると、大きな会社にいれば、陰に隠れていることも可能だなと思っていたからだ。
そんな弱い自分との決別。
住宅比較株式会社にお世話になることを決めた。
何気ない会話で迷いなく誘っていただいた社長、とても感謝している。
【宅建勉強会の軌跡】第14話
~お弁当大作戦~
次の宅建勉強会は、【住宅比較の社員Oさんの合格を目標にした勉強会】だったように思われる。
その最終作戦は、【お昼のお弁当作戦】だ。
【12時から、住宅比較が用意したお弁当を生徒さんみんなで食べる。】
全員出席で、【お弁当代は住宅比較負担】
欠席すると、【欠席者が全員分のお弁当代金を支払う】というものだった。
欠席をしてしまうと、約3,000円前後を支払わなければならず、出費が大きかった。
Oさんは、この出費が嫌で欠席ゼロだった。
よく考えたものだなと思っていた。
結果から言うと、Oさんは合格した。しかも合格点より5点オーバーだった。
Oさんは、ずっと30点前後で落ちていた。
宅建勉強会が始まったのも、住宅比較の社員であるOさんの宅建合格が目的であった。
Oさんは、宅建に落ちるたびに、社長に「来年は受けません」と言って社長と激論を交わし、乗り気でない中また翌年受験してまた落ちる、を繰り返していたそうだ。
社長がOさんの行動をよく見た結果の作戦であったと言える。
私は今まで計6回、お弁当代金を支払った。
講師のMさんも呆れていたことだろう。
しかも、私はその年も宅建試験不合格であった。
【宅建勉強会の軌跡】第13話
~宅建勉強会が始まった~
2月から宅建勉強会が始まった。10月第三週の本試験まで約8か月半。
日数にして約260日。
ハウスメーカーの営業さんや住宅比較の社員など、数人での宅建勉強会でした。
前話で登場したイケメンのMさんが講師。
Mさんからこんな話があったのを覚えています。
「テストが近くなったらひたすら過去問をこなしていれば受かると思います」
【それなら最後の2ヶ月くらいで追い込んだ方が良いのではないか。】
そんな気持ちは捨てられない。
宅建は50点満点のテスト。
配点は下記の通り。
⓵権利関係 14点
②法令上の制限 8点
③税その他 3点
④宅建業法 20点
⑤5点免除問題 5点
合格ラインはだいたい35点前後。
受験者の点数上位15%の点数が合格ラインという、毎年合格点が変わるとても不可思議な方式を採用している。
試験日から合格発表日まで約40日あるため、自己採点が35点前後だと、【恐ろしい40日間】を過ごすこととなる。
Mさん曰く、「宅建業法は20点満点取りましょう」とのことだった。
最初は楽しく勉強会に参加していて、宿題も提出していたが、
4月に入ると【クレームが入った】【商談が入った】【体調を崩した】という
【黄金の3大言い訳】を理由に休みがちになった。
Mさんはとても優しい性格で、年齢もわたしよりも7歳も若かったため、休むことも伝えやすかった。
たまに社長から【雷】が落ち、休まなくなるが、また2週間くらい経つと休みがちになる。
これを繰り返していた。
また、水曜日のその時間以外は、宿題をやるくらいでほぼ週5は宅建勉強をしていなかった。
本試験は30点でまた落ちた。
【宅建勉強会の軌跡】第12話
~数年経って~
宅建試験から4年。思わぬ所から宅建勉強会のお誘いを頂いた。
N営業所長が独立されてN社長になった。
そうです、住宅比較株式会社の社長が元々私の上司のN営業所長でした。
独立されて3年目。当時、住宅比較株式会社社員の宅建士取得者はゼロ。
社長のみ、宅建士資格保有者でした。
社員の資格取得のために【宅建勉強会】を開き、勉強させていたそうです。
その宅建勉強会にて合格したMさんを講師に、【宅建勉強会】を開くとのことでした。
毎週水曜日、午前9時~12時までの3時間でした。
正直、【小さな資格の合わせ技】で主任に昇格していたため、
昔ほど、宅建士の資格を熱望してはいなかった。
ただ、社長のお誘いでしたので、お断りする理由が見当たらず、
【受けてみる】ことにした。
この【受けてみる】が、良い結果に結びつかないのはよく分かることだろう。
講師となるMさんは、とてもイケメンでスポーツマン。
背が高くて瘦せ型、スラっと足が長い。性格もとても温厚で、優しい人だ。当時は怒っているところを見たことがないくらいだった。私とは確実に相反する位置にいる人だ。
年齢は私よりも7才若く、住宅業界歴は浅かった。
そのMさんとの【宅建勉強会】が始まった。
【宅建勉強会の軌跡】第11話
【第11話】
~宅建、初めての受験 惨敗~
7月に宅建試験の申し込みを完了させ、試験日は10月第3週の日曜日だった。
9月に入ってから【駆け込み】で勉強すれば受かると思っていた。
理由は、「去年、試験1か月前から勉強して、合格まであと2点足りなかった」と他の営業所の人が言っていたからだ。
自分なら1ヶ月あれば合格するだろうと本気で思った。
【耳】というのは恐ろしいもので、その時に【自分が受け入れたい話】のみが情報として入ってくる。
結局、7月に買った参考書は、9月中旬まで、とても綺麗な状態を保っていた。
休日は丸々宅建勉強に費やすぞと計画を立てたものの、仕事を入れてしまった。
結局、試験まで合計20時間くらいの勉強時間しか割かなかった。
過去問にも手を出さず、参考書は何も書き込みのない、手の甲で押し付けた折れ目だけがしっかり付いていた。
点数は、自己採点しなくても分かる結果だった。おそらく50点満点中25点くらいであっただろう。
仕事が忙しかったこともあるのだと思うが、勉強しなかった。
同じチームの先輩は合格した。
その先輩は、若くして結婚し、お子さんがいらっしゃった。
宅建に合格すると、【資格手当】が毎月5,000円支給されるので、
「自分のお小遣いを5,000円増やすために頑張った」と言っていた。
それを聞いてもあまり関心がなかった。
営業なのだから、その分契約して給与を上げた方が良いのではないかと思った。
「資格試験取得したって、成績上がっていなければ、ただのインテリ自慢にしかならないのに・・・。」
「もっと仕事してよ、先輩!!」と心の中で声を荒げていた。
何かしら、周りに対して、変なプライドと生意気な自分がいた。
この頃から鏡を見るのが嫌いになっていた。そう思った。
【宅建勉強会の軌跡】第10話
~そろそろ宅建勉強の話をしましょう~
展示場の店長になったが、役職は【社員】。
会社が推奨している資格一覧があり、私は全く所持していない。
それなので、【昇格】ノミネートにも上がらない。
同期で主任に昇格している人がいる。
気になってはいたが、焦ってはいなかった。
私を可愛がってくれている先輩たちは、大きな資格を所持しておらず、
【小さな資格の合わせ技】で昇格していた。
その事実が、私を安心させていた。
建築学科を卒業していない私では【建築士資格】は取得出来ないため、
私にとっての大きな国家資格は、【宅地建物取引士(当時は宅地建物取引主任者)】である。
周りには、【宅地建物取引士】資格を取得している営業がほとんどいなかった。
仕事は夜中まで稼働していた。
その中では、本気になれなかった。
一応、10月第3週目の本試験に向かって、7月末に7,000円を支払い、
受験申し込みを行った。この時購入した参考書は1度も開いていなかった。
【いつでも取れる】とでも思っていたのかもしれない。
【宅建勉強会の軌跡】第9話
~念願の住宅展示場勤務~
急に住宅展示場へ異動が決まった。
色々な営業活動をさせて頂いた【飛び込み営業時代】であったため、
まだまだ結果を残せていない消化不良のような、何だか複雑な気持ちもあったが、内心嬉しかった。
埼玉県に近い、千葉県の田舎の住宅展示場。
住宅展示場の店長は、私が2~3年目の営業マン時代に大変お世話になったS係長。
S係長には、営業のノウハウを教えてもらった。
「何で?なんで?ナンデ?」が口癖で、お客様へのプレゼンテーションは、ほぼ数回やり直しを言い渡される。
徹夜で仕上げて、S係長が出社した早朝に提出し、またダメ出しを食らう。気持ちが萎えることもあったが、S係長の描くプラン(間取り)が好きだった。
私のお客様のプラン(間取り)を描いてもらいたくて、言われたことをこなしていた気がする。
そんなS係長のご指導の下、初めての展示場営業が始まった。
お客様が、【向こうから】来場してくれることが嬉しかった。
【来てくれるお客様すべてが建築してくれる方だ】と思い込むことにした。
仲の良い先輩に聞いたら、「展示場来場のお客様はほとんどイベント目的だよ」と言われていた。
やはり【来てくれるお客様すべてが建築してくれる方だ】と思い込むことにした。
住宅展示場【初接客のお客様】のことはいまだによく覚えている。
ご契約いただいたお客様だからだ。
築15年の家に住んでいて、まだ住宅ローンも15年残っている。
ご主人一人でご来場だった。
緊張のあまり汗をかきながら【初】展示場案内をした。
その日の夜20時頃にお礼の訪問をした。初めて会った奥様が玄関先でとても驚いていた。
奥様はご主人が住宅展示場に行ったことをご存じなかった。
私は正直にご主人様が展示場でおっしゃっていたことを話した。ご主人様がお風呂から上がられて、私が玄関先にいることに気付き、やはり驚いていた。
家の中にお邪魔させて頂き、今の家を建築した経緯や、ご夫婦の育ってきた環境、趣味のこと、お子様のこと等、お話を聞いた。
たくさん聴いた。時刻は夜中の1時を回っていた。
そこから2ヶ月後にご契約となった。「75歳まで一生懸命働かないとね」とご主人様がはにかんだ笑顔でおっしゃっていた。
全話でお話ししたNPO法人のイベントにもよく顔を出してくださった。
そば打ち教室がきっかけで趣味となり、のちにお店まで出すことになった。
関わる営業マンによって、お客様の生活が一変することがある。
ここまでは私の営業人生の話であったが、次話から【宅地建物取引士の話】に入る。