不動産コンサルティングの住宅比較株式会社

スタッフブログ

2023.05.03

日経新聞 私の履歴書 池辺 晋一郎③を読んで

【感想】

池辺家のルーツが描かれておりました。伯父・展生が音楽好きで、生き方のきっかけの一人だったのでしょう。ピアノを遊びながら触れることで成長していかれました。昨日も書きましたが、触れる回数が多いことで自然と身についていった…。マイホームFPを肌身離さず持ち歩き、触れることで新しい提案の仕方が生まれるかも知れません。日々触ってお客様にとって最良の提案をしてまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2023.05.02

日経新聞 私の履歴書 池辺 晋一郎②を読んで

【感想】

幼少期の頃を描かれておりました。幼い頃は病弱ながらも身近にピアノがあり、触れることで興味が湧き、楽譜を書くことまでできる様になりました。そのうち先生までも上回る様になり、作曲へとつながって行きました。そこにはなんでも受け入れるという素直さがあったのだと感じました。また、ピアノを毎日触れることで、好きになり探究心が芽生えてきたのでしょう。私もお客様に資金計画を積極的に提案できるよう、日々誰よりも「マイホームFP」に触れ皆さまからの言葉を素直に受け入れて、仕事に取り組んでまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2023.05.01

日経新聞 私の履歴書 池辺 晋一郎①を読んで

【感想】

今日から作曲家「池辺 晋一郎 氏」です。以下、プロフィールです。

池辺 晋一郎(いけべ しんいちろう、1943年9月15日 – )は、日本作曲家学位は芸術学修士東京芸術大学1971年)。一般社団法人全日本合唱連盟顧問、東京音楽大学名誉教授文化功労者。本名:池邉 晋一郎(読み同じ)。

東京音楽大学音楽学部教授東京音楽大学付属民族音楽研究所所長、横浜みなとみらいホール館長などを歴任した。

人物・来歴[編集]

生い立ち[編集]

茨城県水戸市出身。幼少期は体が弱く、家にあったピアノを使って独学していた。1963年、東京都立新宿高等学校卒業。1967年、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。1971年、同大学院修了。中学・高校時代には、クラリネットを演奏していた経験もある。高校で合唱をしていた際、池田明良、そして3年次には宇野功芳(音楽評論家)が講師をしていた。大学では池内友次郎矢代秋雄三善晃島岡譲に師事する[1]。大学で1年先輩の三枝成彰と親交があり[注 1]、共に当時の若手作曲家のホープとみなされていた。

作曲家として[編集]

東京芸術大学在学中に書いた室内楽曲「クレパ七章」で注目され、武満徹の目に留まり、一時期映画音楽のアシスタントを務めた。10曲の交響曲をはじめとする演奏会用作品の他、黒澤明今村昌平の監督作品をはじめとする映画音楽、校歌NHK大河ドラマ[注 2]やアニメ『未来少年コナン』などのテレビ番組の音楽も多く手がけている。音楽家として海外留学の経験がない世代の最初として、野田暉行らと並び称される[2]

また、アマチュア音楽界、特に合唱とは深い関係を持っている。全日本合唱連盟の役員を長年務める一方で、1984年に混声合唱組曲「悪魔の飽食」を神戸市役所センター合唱団の委嘱で作曲したことがきっかけとなって、うたごえ運動とも交流がある。全日本吹奏楽コンクールの課題曲も委嘱されて作曲している。2007年より、せたがや文化財団音楽事業部音楽監督を務め、イベントの際には舞台上で短いトークを披露する。

N響アワー』(NHK教育テレビ)に2009年3月までの13年間司会者として出演した。日本中国文化交流協会理事長。日本作曲家協議会元会長。日本音楽作家団体協議会元会長。東京音楽大学教授。2007年4月1日より2020年3月31日まで横浜みなとみらいホール館長。ダジャレ好きで有名。広島東洋カープのファン[3]。女優の香川京子は父の従妹である。

九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人[4]、「世田谷・九条の会」呼びかけ人を務めている[5]世界平和アピール七人委員会メンバー。

2022年春の叙勲旭日中綬章を受章[6][7]

幼い頃から、才能に恵まれ順風満帆だったが大先輩に「創作者」とは何ぞや、と言われ劇伴屋時代がありましたが、腐らず耐えて「真の作曲」へ歩み出した著者の素直さがあったからです。「我以外皆我師」自分以外の人、モノすべてが自分の足らざるを教えてくれる、そんな謙虚な心持で生活することで人は磨かれていく…。と感じました。

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2023.04.30

日経新聞 私の履歴書 吉田 忠裕29を読んで

【感想】

第二の人生について描かれておりました。三女の朋美さんに目をつけ、諦めずにチーズ職人に仕立て上げた、人を見る眼には家族への愛が感じられ、家族の夢の実現に向けて朋美さんの強い決意が身を結んだのでしょう。著者の黒部ヤギチーズの魅力の語りから、吉田興産のチーズを食べてみたいと思いました。また、富山を愛して尽くし、盛り上げようとする第二の人生もバイタリティに生きている著者に感銘を受けました。第二の人生を見据えることで、今を無駄にしない行動を考えてまいります。

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2023.04.29

日経新聞 私の履歴書 吉田 忠裕28を読んで

【感想】

本社機能の移転、K -タウンの建設、演劇について描かれておりました。令和2年に人材派遣会社のパソナグループが淡路島に本社機能の一部を移転したことが、ニュースを賑わせましたが、16年にはYKK管理部門の約230人を黒部事務所へ異動させ、震災などのリスク分散を進めておられました。それに伴い、街の活性化を考え社員の居住エリアの開発など、著者のバイタリティに驚かされました。1976年より富山県利賀村を拠点に活動し海外でも活動する「劇団SCOT」に共感し、富山の文化・芸術の発展にも力を注いでこられました。富山を愛する「善の巡環」が感じられます。全てにおいて相手の立場に立って考え、スピードを持って行動できるようにっしてまいります。

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2023.04.28

日経新聞 私の履歴書 吉田 忠裕27を読んで

【感想】

「パッシブタウン」づくりについて描かれておりました。地元の若者が都会に出て戻ってこない。この問題に著者は力を注いだ…。黒部の自然環境を最大限に活かした「パッシブタウン」の開発です。検索してみたところ、自然環境をエネルギーに生かし、非常に魅力的で、私も住みたいと感じました。トヨタも静岡県に「AI未来都市」の構築を始めておりますが、自然環境を生かしたコチラの方が、永住するには良いと感じました。若者のU ターン転職、黒部の活性化に著者のまちづくりの想いが詰まっている気がしました。一つの「なぜ」に真剣に考え新しいまちづくりに発展する著者の実行力に感銘を受けました。お客様の悩みに真剣に考え、解決するために何が必要かを実行する仕事をして行きたいと思います。

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2023.04.27

日経新聞 私の履歴書 吉田 忠裕26を読んで

【感想】

経営理念の浸透活動と会社経営について描かれておりました。「社長車座集会」で社長と対面で互いに経験談、失敗談を語り合うことで社員一人一人に「善の循環」を浸透させる大切さ、必要性を感じました。55歳以上の集会で、社員から「もう一花咲かせたい」と声が上がった…。私もこの年代になりましたが、まだまだ自己研鑽に励み、部下を育てていかなくてはならないと感じ、負けてられないと思いました。お客様の立場で考え行動し、クレームを無くし、お客様からの感謝のメールが増える行動を積み重ねてまいります。

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2023.04.26

日経新聞 私の履歴書 吉田 忠裕25を読んで

【感想】

黒部寮、本社ビル、「くろべ牧場の風レセプションハウス」など建築エピソードが描かれておりました。世界の建築家と付き合う中で、建築で莫大な富を得ている人はごく稀で、多くは建築が好きで、その街や人々の暮らしを満たす幸せにする空間・シンボルとなることを信念に仕事をしていることに「善の巡環」と共通点を感じたのでしょう。常にお客様のことを考え、お客様の立場からの目線・行動を実践してまいります。アンジェロ・マンジャロッティ氏設計のレセプションハウスはシンプル且つ人を惹きつける魅力がある建物です。2012年に他界されましたが、数多くの建築とともに後世に残るでしょう。

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2023.04.25

日経新聞 私の履歴書 吉田 忠裕24を読んで

【感想】

建築家との交流と携わってきた建築物について描かれておりました。窓メーカーでありながら、22物件も建築にも携わってこられた著者に感銘を受けました。建築家との初対面の前に、相手のことを一生懸命勉強していた、且つ建物のコンセプトを熱く語る…。それが建築家の心に響き一緒にモノつくりをやってみたいと思わせるのでしょう。お客様と初めて会う時には、相手のことを知り一生懸命考え、想定される準備して打ち合わせに臨むことで、印象も違ってくるのだと思います。土地探しを任せもらえるようお客様のことを一生懸命考え、信頼される仕事をしてまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

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