スタッフブログ
【宅建勉強会の軌跡】第10話
~そろそろ宅建勉強の話をしましょう~
展示場の店長になったが、役職は【社員】。
会社が推奨している資格一覧があり、私は全く所持していない。
それなので、【昇格】ノミネートにも上がらない。
同期で主任に昇格している人がいる。
気になってはいたが、焦ってはいなかった。
私を可愛がってくれている先輩たちは、大きな資格を所持しておらず、
【小さな資格の合わせ技】で昇格していた。
その事実が、私を安心させていた。
建築学科を卒業していない私では【建築士資格】は取得出来ないため、
私にとっての大きな国家資格は、【宅地建物取引士(当時は宅地建物取引主任者)】である。
周りには、【宅地建物取引士】資格を取得している営業がほとんどいなかった。
仕事は夜中まで稼働していた。
その中では、本気になれなかった。
一応、10月第3週目の本試験に向かって、7月末に7,000円を支払い、
受験申し込みを行った。この時購入した参考書は1度も開いていなかった。
【いつでも取れる】とでも思っていたのかもしれない。
【宅建勉強会の軌跡】第9話
~念願の住宅展示場勤務~
急に住宅展示場へ異動が決まった。
色々な営業活動をさせて頂いた【飛び込み営業時代】であったため、
まだまだ結果を残せていない消化不良のような、何だか複雑な気持ちもあったが、内心嬉しかった。
埼玉県に近い、千葉県の田舎の住宅展示場。
住宅展示場の店長は、私が2~3年目の営業マン時代に大変お世話になったS係長。
S係長には、営業のノウハウを教えてもらった。
「何で?なんで?ナンデ?」が口癖で、お客様へのプレゼンテーションは、ほぼ数回やり直しを言い渡される。
徹夜で仕上げて、S係長が出社した早朝に提出し、またダメ出しを食らう。気持ちが萎えることもあったが、S係長の描くプラン(間取り)が好きだった。
私のお客様のプラン(間取り)を描いてもらいたくて、言われたことをこなしていた気がする。
そんなS係長のご指導の下、初めての展示場営業が始まった。
お客様が、【向こうから】来場してくれることが嬉しかった。
【来てくれるお客様すべてが建築してくれる方だ】と思い込むことにした。
仲の良い先輩に聞いたら、「展示場来場のお客様はほとんどイベント目的だよ」と言われていた。
やはり【来てくれるお客様すべてが建築してくれる方だ】と思い込むことにした。
住宅展示場【初接客のお客様】のことはいまだによく覚えている。
ご契約いただいたお客様だからだ。
築15年の家に住んでいて、まだ住宅ローンも15年残っている。
ご主人一人でご来場だった。
緊張のあまり汗をかきながら【初】展示場案内をした。
その日の夜20時頃にお礼の訪問をした。初めて会った奥様が玄関先でとても驚いていた。
奥様はご主人が住宅展示場に行ったことをご存じなかった。
私は正直にご主人様が展示場でおっしゃっていたことを話した。ご主人様がお風呂から上がられて、私が玄関先にいることに気付き、やはり驚いていた。
家の中にお邪魔させて頂き、今の家を建築した経緯や、ご夫婦の育ってきた環境、趣味のこと、お子様のこと等、お話を聞いた。
たくさん聴いた。時刻は夜中の1時を回っていた。
そこから2ヶ月後にご契約となった。「75歳まで一生懸命働かないとね」とご主人様がはにかんだ笑顔でおっしゃっていた。
全話でお話ししたNPO法人のイベントにもよく顔を出してくださった。
そば打ち教室がきっかけで趣味となり、のちにお店まで出すことになった。
関わる営業マンによって、お客様の生活が一変することがある。
ここまでは私の営業人生の話であったが、次話から【宅地建物取引士の話】に入る。
【宅建勉強会の軌跡】第8話
~メロンを売って、家を売る???~
住宅展示場は、年々ご来場数が減ってきているという話を聞いて驚いた。
私の思い描いている住宅展示場は、【土日は家族連れが多く、子供の声があふれている】だった。
玄関インターホンは、カメラ付きが普及し始めていて、玄関先まで出てきてくれない。そんな困っていた所に、N営業所長から【タケノコを配って来よう】とお話頂いた。見込みのお客様宅や訪問してもあまり相手にされない方の家にタケノコを持っていったら、ビックリして出てきてくれた。その中で、自分の地元の話をしていただき、地元の特産物の話で盛り上がった。奥様の地元のみかんを頂いたら驚くほど美味しかった。
N営業所長は、NPO法人をお客様と立ち上げ、そのNPO法人にて各地の特産物を一括購入したり、夏休みには大工の工作教室、毎月の異業種交流会、秋には少年野球大会、おおみそかには親子そば打ち教室、子育て親子カフェやピアノ教室など、様々なイベントを開催し、お客様をお誘いした。
「家を買いませんか」は聞いてもらえませんが、「生でも食べられる美味しいとうもろこしを共同購入しませんか」だと、玄関を開けてくださる。
「メロンは買わないが、家の購入の相談に乗ってもらえる?」と言われ、本当にご契約になった時はとても驚いた。
いまはNPO法人は解散してしまった(N営業所長の退職もあり)。
その後も、この【お付き合い】の方からご紹介でご契約を数件頂けた。
いまだにお付き合いが続いている方もいる。
営業方法は無数にあるとはよく言うが、自分で実際に経験した。
「家を売らずに野菜を売り、家が売れた」
この経験は一生の宝だと思っている。
【宅建勉強会の軌跡】第7話
~後輩が入ってきて先輩となる~
毎週1000分(約16.5時間)の議事録は過酷だった。
飛び込み営業をしても、玄関先でのたわいもない話で終わる。
議事録に書く内容もなく、ましてやサインなんてお客様に頼めない。
仲良くなった契約見込みのない家に行き、お茶を頂いてリフォーム等の話をし、議事録に書き、サインを頂くこともしばしばだった。
そんな生活が続き、そんな中、営業所に新入社員研修を終えた新人Yくんが入ってきた。
天然で、笑顔が可愛いらしい、とても感じの良い子だった。
そのYくんから教わることが振り返ってみると多くあった。
Yくんは、とても楽しそうに飛び込み営業をしていた。
議事録1000分については、【話したこと何でも書いていいですよね】と言って、
【〇〇様はみかんがお好き】とだけ書いてある、奥様のサインのある100分の議事録を提出してきた。
私は「これはダメだよ」と言ったが、先輩たちの反応は上機嫌だった。
【10年に一度の逸材】とN営業所長は言っていた。
Yくんはいつも笑顔で、人の悪口は言わないし、一生懸命だった。
ただ、お客様へのプレゼンテーションやトークは苦手。
話が長い私にも嫌な顔をほとんどせずに付き合ってくれていた。
今から考えると、私がYくんの活動時間を阻害するお荷物だったように思う。
1000分議事録がアポ商談で埋り始めた時、契約がやってきた。
ようやく暗い道から一筋の光が見えてきたようだ。
Yくんに対しても契約あがっていない先輩というのは、恥ずかしかった。
【商談時間】は、【健康診断書の数値】のようなものだと思った。
【宅建勉強会の軌跡】第6話
~契約したのは自分のおかげ 集客は会社がするものだ~
初契約を終え、周りに「皆様のおかげでご契約いただきました」と言った。
同期や周りの営業所の先輩たちには「凄いね」「良かったね」と言ってもらえた。
ただ本当は、【契約なんて簡単】【先輩たちの営業力が低いな】と思った。
【集客さえ出来ていれば契約は取れるでしょ】
早く営業店ではなく、花形の【住宅展示場勤務】にさせてもらえないのだろうか。
営業店の3つの仕事【①飛び込み営業②電話アプローチ③チラシ投函】の数が徐々に減っていった。気持ちは【契約を取ること】でいっぱいだ。集客さえ出来ていれば契約は取れる。お客様がいつも来場する住宅展示場に早く配属されたい。
そんな思いから1年弱が過ぎ、全く契約が取れていない私がいた。
同期の年間トップは契約3件で、新人賞は一番貧弱そうなIくんが取得した。
彼は、飛び込み営業や現場見学会から契約をあげていた。
私の考えは2つだった。
【たまたま良いお客様がいたのだろう】
【本社に近い営業所だったから会社の認知度が違うからだ】
そんな折、その思いと裏腹に、N営業所長は、営業所全営業マンに【議事録1000分】をノルマに課した。一週間、お客様との商談時間を1000分(約16.5時間)とし、それを証明するために【商談議事録にお客様のサインをもらう】というものだった。
過酷な【毎週】が始まった。
【宅建勉強会の奇跡】第5話
鼻を折られたが、すぐに元に戻ってしまう
入社して2ヶ月目で、N営業所長(この1ヶ月の投稿の中間で正体を明かします)より、「現場見学会をやってみよう」と私と同期入社のU君にお話がありました。
現場はとてもカッコ良い、前衛的な外観で、【やってみたい気持ち】と【本当にできるのか】が同居していた。まだ現場見学会が何かも分かっていなかった。
先輩に教わりながら、工程表作成、備品チェックリスト作成、現場の準備、チラシ作成を行っていきました。
現場は、事務所から自転車で約40分ほどかかる距離でしたが、チラシの投げ込みと飛び込みで往復していました。
開催前日、窓枠などが汚いとの指摘を頂き、夜遅くまで掃除していたのを覚えています。
そこにご来場頂いたお客様が、私が最初にご契約を頂くお客様なのですが、そのご契約にも色々と私の謙虚でない一面が出てしまい問題が起こります。
私は、注文住宅営業は、間取りが決まってからご契約だと本当に思っていました。
そのお客様は、庭にもう1軒家を建てる方でしたので、「まだゆっくり検討したい」とおっしゃっていました。ただ、その【ゆっくり】というのが新人の私には本当に【ゆっくり】だと思っていたのです。
先輩に、「今月契約するよ」と言われ、私は、「お客様はゆっくりとおっしゃっていますし、まだプランも気に入ってもらえていません」と突っぱねていました。
それでも強引に契約をすると言って先輩に商談同行してもらっていたことに全く納得できず、私は出社拒否しました。
ご契約日、私をN営業所長が迎えに来てくれました。「あなたがいないとお客様が困っちゃうよ。一緒に行こう。」契約書類は営業店長が用意してくださっていました。
お客様にお会いすると「これからもよろしくね」と笑顔。なんだか不思議な気持ちでした。
ただ、ここで甘えてしまった自分がいました。入社して2ヶ月目で初契約を迎えた私が、そこから1年間、【契約ゼロ】で過ごすことになります。
そこには、前話でお話した、【売れていない人へのおごり】が発動します。
【宅建勉強会の軌跡】第4話
~フレッシュな頃は何でも楽しかった~
最初は営業店から注文住宅営業マン人生が始まった。
先輩から担当エリアをもらい、その地域の担当となった。
担当を持たせてもらえたと、嬉しかった。
何が何でも同期一番で成績を出してやろうと思っていた。
行動は下記の3通り。
10時~17時【飛び込み・・・一軒一軒ピンポンピンポンとインターホンを鳴らす】
18時~21時【電話アプローチ・・・電話帳の【あ】から順番に電話をかける】
22時~ 【チラシ投函・・・現場見学会やキャンペーン、イベント等】
最初は辛いとは思わず、楽しかった。同期とも月曜の夜には集まって会合し、終電までお互いの状況を語り合った。
お客様も少しずつ増え始めて来た。本当はとても楽しくなるはずだった。
ただ、そんな営業生活が慣れてくると、怖い現象が起こってきた。
【そんなに成績を上げていない先輩たちは、何で飛び込みとかやらないんだろう】
その頃から、先輩たちを見る目も変わってきた。
【宅建勉強会の軌跡】第3話
~就職、その環境に委ねよう きっとうまくいく~
私が就職した会社は、地域密着を売りに農耕型経営を推し進めるグループ経営会社であり、上場はしていないが地域では有名だった。
注文住宅営業マンとなった私の周りには、【出来る営業さん】が多数いて、中には、お客様に間取りや金額を即座に伝えて契約アポを取得してくる営業さんもいた。
お客様の目の前でプラン用紙にその場で間取りを書きながら提案している営業さんもいた。
何も建築の知識のない私は、『凄いな、この会社にいればこうなれるのかな』と思った。
私の故郷とは多少離れた、初めての地にて、本当に営業活動が出来るのだろうかと不安もあったが、『みんな出来ているのだから大丈夫だろう』と思っていた。
注文住宅営業マンになった同期は全部で15名。大学の建築学科を出ていた人もいたが、それほど建築好きをアピールしていたりしていないし、『間取りも書けないよ』と言っていたので安心したのを覚えている。ほぼ全員が建築提案においては初心者であった。
『経験を積めば、自ずと色んなことが出来るようになってくる』
これが今から考えると【努力しない最初の環境】だったのかもしれない。 建築と不動産に関わりながら、全く建築と不動産に関連する【資格】を約16年に渡り取得もせずに何とか過ごしていた営業マン人生が始まる
【宅建勉強会の軌跡】第2話
~社会人になるまで 【環境】によって育ち方が変わる~
これからこの【宅建勉強会の軌跡】を約1ヶ月に渡り執筆する私のことをお話します。
私は、1970年代の後半に普通のサラリーマン家に生まれた。
父は、地元の酒の問屋に勤務していて、母は専業主婦。
母方は商売家系で、石材店等を営んでいた。母の明るい性格と話し好きは、そのまま私が引き継いでいる感がある。
幼稚園・小学・中学・高校と地元で過ごし、大学受験で失敗、予備校へ、そのあと1年間アルバイトをしながら仮面浪人のようなことをしていた。その時のアルバイトで料理を覚え、安易にそのまま料理の道でも良いかなと思ったが、父に止められた。
高校出てから2年間も遊ばせてもらったので、理系である私は私立大学では親に負担をかけ過ぎると思い、センター試験(いまで言う共通テスト)である程度得点を取ることを目標にし、地方の国立大学になんとか入学出来た。
今の私が振り返ってみると、田舎の小学校で育ったので、周りは勉強熱心という子供がいなかったような気がしてならない。おそらく、そういう子はいたのかもしれないが、【見えていなかった】のだと感じる。親の教育もそうなのだろう。
とんぼを追いかけるような、田舎の伸び伸び育った少年のイメージそのものなのだと感じる。
最初からその【環境】にいれば、それが当たり前になるのだろう。
勉強熱心な家系ではなかったことは確かだった。