スタッフブログ
日経新聞 私の履歴書 古賀 信行25を読んで
【本文】
2008年(平成20年)から野村証券の会長になり、11年には持ち株会社野村ホールディングス(HD)の会長を務めるようになった。一般に証券会社の会長は業界活動が増え、日本証券業協会の役職につくことが多い。私の場合はそれよりかなり前から日証協に関わってきた。田淵節也さんが日証協会長を務めた1987年に協会長秘書を務め、それからも日証協との付き合いは続いた。常務時代に株式店頭市場の運営を議論する特別委員会にも加わったが、周囲は準大手・中堅証券の会長ばかりだった。…
【感想】
「4社体制」が消え、銀行系証券・ネット証券など新しい波が押し寄せ、情勢が刻々と変化していく中で大手もウカウカとしてられないと感じました。私たちの不動産業界も同じで、大手や他社のやらないこと(JH専任サポート)を積極的に行い、お客様から信頼を勝ち取ることにより、ハウスメーカーからの信頼につながると思いました。また、IT重説・契約など新しいことにもチャレンジが必要だと感じました。
住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠
私の課長時代を読んで
私の課長時代 柏谷邦彦氏
オリックスの海外融資審査課長を務めていました。
数字を根拠に部長に提出するも、分析が
足りない。と突き返されます。
多面的に実情を調査する事が大事で、数字だけで判断できない。
スケジュールの甘さや周辺の住民の調査がなされていませんでしたので、この記事を読んで更に反省して今後の仕事に繋げていきます。
住宅比較株式会社
吉田真樹
日経新聞 私の履歴書 古賀 信行24を読んで
【本文】
「なぜ、これほど低いのですか?」野村ホールディングス(HD)が自己資本利益率(ROE)15%を記録した2006年3月期決算に対する、米国投資家の反応だった。事業に必要な資金をもっと借り入れで賄うようにすれば、ROEをさらに上げられるではないか、というわけだ。実際、ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーなど証券業を専門とするウォール街の投資銀行は、こうした財務手法を駆使して20〜30%のROEをたたき出していた。日本企業としては、高ROEでも、米国基準ではいかにも貧弱、創意工夫が足りないと映ったのだろう。…
【感想】
サブプライム危機で多くの損失を計上したが、著者の指揮のもと、早い対応で米国投資家の信頼を得た。そして今までと同じやり方ではもたない、とイノベーションを起こすべく新社長を迎えた。私たちも日経新聞や他の本を購読し、日々刻々と変化する社会情勢を感じ取り、私情に対応した仕事をしてまいりたいと思います。
住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠
日経新聞 私の履歴書 古賀 信行23を読んで
【本文】
私が社長になった2003年(平成15年)に野村ホールディングス(HD)は、指名・監査・報酬の3委員会を持つ委員会等設置会社へと移行した。野村の企業統治(コーポレートガバナンス)が大きく変わった。この年4月施行の商法で認められた委員会等設置会社は、経営の執行と監督を分離する「米国型企業統治」と肯定的に評価されていた。とりあえず様子を見る日本企業も少なくなかったが、野村は「やるからには最初に」と考え、早く動いた。…
【感想】
「委員会等設置会社」への移行は、日本特有のとりあえず様子見の企業が多い中、いち早く動いた(スピード)。「中庸」の気持ちだけではダメで「やってやれない事はない。やらずにできるわけがない。」に打って出た中で、失敗もあった。著者はその失敗を貴重な教訓と捉え、同じ失敗をしなかった。「PDCAが」回れば野村HDのようにもなれます。私も同じ失敗は繰返ないよう、またメンバーにも共有して失敗をさせないよう仕事をいたします。
住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠
日経新聞 私の履歴書 古賀 信行22を読んで
【本文】
2003年(平成15年)の1月。野村証券はお客さま向けの新春セミナーを大阪で開いた。その夜、氏家純一社長にホテルの部屋に呼ばれ、告げられた。「次の社長をお願いしたい」私は聞き返した。「なぜ、私なのですか。氏家さんが良いと思ったからだけですか」最高経営責任者(CEO)になるのは覚悟が要る。私は覚悟を決める材料が欲しかったのだ。氏家さんは「取締役会に諮れば全員、賛成してくれると思う」とも言ったが、プロセスや手続きの話をしているのではない。知りたいのは覚悟の裏書きだった。…
【感想】
著者は、なぜ私なのですかと思われたそうですが、昨日も書かせていただきましたが、サラリーマン社長だろうと、業務で法令遵守を徹底し、私情に流されず、会社のために言うべき事がキッチリ言える人間だからこそ信頼を得られたのだと思いました。「やってやれないことはない。やらずにできるわけがない」私も心に想い実践してまいります。
住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠
日経新聞 私の履歴書 古賀 信行21を読んで
【本文】
氏家純一社長の下で私は企画担当の取締役を務めた。システム企画も管掌に入り、西暦が1999年から2000年に変わる時の「Y2K」問題を経験した。最も汗をかいたのは、グループ会社の見直しだ。野村証券は2001年3月に持ち株会社体制への移行を決めた。その前段階として持ち株会社の傘下に入る「野村証券グループ」の会社と、そうでない「野村グループ」の会社とをきちんと分ける必要があった。複雑な株式の持ち合いを整理したり、野村系の準大手・中堅中小証券の持ち株売却を進めたりするのが私の役割だった。…
【感想】
持ち株売却で、中堅中小の社長への一人一人への粘り強く、きっぱりと話を進めた…、という一文が目にとまりました。私情に左右されることなく、言うことは言う。淡々と進めることで、上司の信頼をえてきたのだと思いました。仕事でも長く付き合うことで、信頼を勝ち取るためには、値引きをするのではなく、お客様に正確な情報を早く伝え、判断してもらうことだと感じました。
住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠
日経新聞 私の履歴書 古賀 信行20を読んで
【本文】
1997年(平成9年)、野村証券による総会屋親族企業への利益供与が発覚した。90年代初めに続く2度目の不祥事に、厳しい批判が寄せられたのは当然だった。私は人事担当の取締役だったので、不祥事に関するうわさや情報を耳にすることはなかった。3月6日に副社長だった斉藤惇さんが利益供与を認める社内調査の結果を発表。私には突然出たという印象が強かった。酒巻英雄さんが社長を辞め、会長だった鈴木政志さんが暫定的に社長を兼務することになった。…
【感想】
人事担当時代に、社長から危機管理担当に任命されたことも、これまで著者が素晴らしい人たちと関わりながら、私情に流されることなく法令遵守に徹し、確固たる信頼を築いた証だと感じました。私も皆様に信頼されるよう、法令遵守で、「慧可断臂」を示してまいります。
住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠
私の課長時代を読んで
住宅比較の吉田です。
私の課長時代の感想です。
原因の本質を掘り下げて捉えないと対策にはならない
私の仕事に置き変えて考えた時、PDCAを回していく中で、何が原因で失敗したのか。
深く掘り下げずにまた、同じ失敗を繰り返してしまう。
せっかちな性格もありますが、本質を深く考え、何度も何度も繰り返していく事で成功があると考えています。
わかっていてもできていない事がたくさんありますが、今後の仕事に役立てて行きたいと思います。
住宅比較株式会社
吉田真樹
日経新聞 私の履歴書 古賀 信行19を読んで
【本文】
田淵義久さんの問題発言があった1991年(平成3年)6月27日の株主総会後の取締役会で、副社長の酒巻英雄さんが社長に昇格した。思い出すのは、総会を4日後に控えた6月23日、日曜日のことだ。昼に酒巻さんから電話があり「ちょっと来てくれないか」と言われた。東京・広尾の自宅に赴くと「高輪の研修センターにいっしょに行こう」ということになった。そこには田淵節也さん、田淵義久さん、副社長の水内靖裕さんがいた。3人と話した酒巻さんは部屋から出てくるとひと言。「社長になるんだよ」そうなったからには対応が必要だ。…
【感想】
人事部長時代も社長から信頼され、人との出会いを大切にし、忖度なしの誠実な人柄が、「キープヤング野村証券」の中でも評価されたのだと思いました。また、同期がソフトバンクに転身した件も描かれておりましたが、孫正義 氏の高い志に共感し、行動を起こされたのだと感じました。これから社員を迎えるにあたって、自分がどうなりたいか、会社をどうしたいかを明確にしなければ未来はないと思いました。
住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠