スタッフブログ
日経新聞 私の履歴書 村井 邦彦3を読んで
【感想】
幼少期から、本に触れ読書が好きになった。そこから歴史に興味を持ったり、音楽に触れたりもした。著者の才能を創造する原点に触れました…。何でもスマホで済ませてしまう時代ですが、ジャンルに捉われず読書する習慣を身につけようと思いました。まずは日経新聞を隅々まで目を通します。
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日経新聞 私の履歴書 村井邦彦2を読んで
【感想】
父から、金儲けすることは悪いことではない。多くの税金を納めれば、国の役に立ち、雇った人が消費すれば経済が活性化する。と、社会の流れを教わり、早く企業し独立したのだと思いました。経済を活性化させる為にも、積極的に行動してまいります。
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日経新聞 私の履歴書 村井邦彦2 を読んで
【本文】
日経新聞 私の履歴書 村井 邦彦1を読んで
【本文】
民主主義とジャズは終戦後に進駐軍が初めて持ち込んだと思っている若い人もいるようだが、もちろんそうではない。民主主義もジャズも戦前から日本にあり、現代まで脈々と受け継がれている。大正初期に生まれた父の村井正雄は大正デモクラシーの残り香を青春期にたっぷりと味わったモダンな人で、僕は大きな影響を受けた。父は日本大学工学部で最先端の航空工学を学び、海軍機関学校を出て技術将校として飛行機の電子部門を担当していた。…
【感想】
本日から作曲家の村井邦彦氏の履歴書です。1ヶ月間、よろしくお願いいたします。
大学を卒業してすぐに作曲をはじめ、24歳で「二刀流」をやりはじめた行動力には驚きました。大手レコード会社に負けそうな場面でも、会社のスローガンを心に刻み、必死に頑張った…。私もまだまだ必死さが足らないと感じました。「経営の根源」「社是」を日々心に刻みながら、慧可断臂で行動します。
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村井邦彦
音楽の教科書に採用された「翼をください」や札幌五輪のテーマソング「虹と雪のバラード」をはじめ、「エメラルドの伝説」「夜と朝のあいだに」「或る日突然」「経験」などを作曲した村井邦彦さん。売れっ子作曲家として活動しながら音楽出版社アルファミュージックを設立。高校生だったユーミンこと荒井由実(現在は松任谷由実)さんを皮切りに、赤い鳥やガロを世に送り出します。さらにレコード会社のアルファレコードを旗揚げし、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を世界的な成功に導きました。村井さんらが生み出した日本のシティポップは、近年世界的に再評価されています。
日経新聞 私の履歴書 古賀信行30を読んで
【本文】
若い頃「会社を辞めようかな」とつぶやくと、妻はきまって「何する? 塾でもやろうか」とうれしそうに言ったものだ。ばかばかしくなって会社を辞めるのをやめた。家のことは全て妻に任せっきりだった。企業人として今日までやってこれたのは、妻のおかげだ。感謝しかない。息子と娘、それぞれの連れ合い。3人の孫。古賀ファミリーは9人になった。野村証券に入ってもうすぐ50年目になる。名誉顧問の任期は2025年3月31日まで。会社のルールに従って、その時までに私は野村を去る。…
【感想】
「自分はまだ若い。自分の出番はまだ先だ」とは思っておりませんが、まだまだ勉強が足らないと感じました。 著者は、これまでの経験を生かし、違う分野の仕事をしてみたいと、ゆっくり余生を過ごす感じではない。私も明日から宅建勉強会が始まります。 全員合格を目指し、勇往邁進してまいります。
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日経新聞 私の履歴書 古賀 信行29を読んで
【本文】
元号が平成から令和に変わった年、2019年の12月は私にとって悲しい月になってしまった。26日に臼田浩義さんが亡くなった。私が野村証券の引受部時代の思い出をつづった回で紹介した、東京エレクトロンの臼田さんだ。1998年に日本ダービーを制した名馬スペシャルウィークの馬主でもある。初対面では名刺を受け取ってもらえずおおいに戸惑ったが、異彩を放つ人柄に引かれ、仕事を離れてもお付きあいはずっと続いた。…
【感想】
山田コンサルティンググループの山田淳一郎氏も高卒で就職し、努力して公認会計士の資格を取得し独立した苦労人。私はまだまだ苦労が足りない、日々勉強し続けなければならないと感じました。「一期一会」を大切にし、人生観を養いながらも一人で考える時間も持つ。毎日の行動を変えてまいります。
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日経新聞 私の履歴書 古賀 信行28を読んで
【本文】
福岡市博多区の伝統の夏祭り、博多祇園山笠。男たちが山笠を担いで市内を疾走する「舁(か)き山笠」が、2022年に3年ぶりに復活したそうだ。私も山笠の上に乗る「台上がり」を経験したことがある。18年7月13日。フィナーレとなる「追い山」の2日前、「集団山見せ」だ。この日は博多にゆかりのある知名人などが山笠に上がるのが恒例になっている。私も祭りの存在は知っていたが、台上がりを経験するとは思ってもみなかった。縁あって選んでいただいたのは、本当に幸運だった。…
【感想】
不祥事を起こした時に出会った方のおかげで縁あって山笠の「台上がり」を経験されたそうです。不祥事を経験し、信用回復に尽力された姿を間近で見ていた方からの推薦でした。地元の方々と触れ合いながら逮捕された方を思い出した。…色々な想いがあり酒宴で「博多祝い唄」を独唱されたそうですが、皆さまへのエールのように感じました。今日は日頃やらない大胆なことをやってみましょう。
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日経新聞 私の履歴書 古賀 信行27を読んで
【本文】
2018年(平成30年)から、私は経団連の審議員会議長を務めたが、その時の会長が、日立製作所の社長・会長を務めた中西宏明さんだった。残念ながら21年にお亡くなりになった。経営者として日立を立て直し、経団連会長に就任してからは就活ルール見直しなどの先頭に立った。多くの功績を様々な人が語り継ぐ。その人物に間近で接することができたのは、私にとって大変に幸せなことだった。ずばりと本質をついて方向性を示す方だった。…
【感想】
年齢に関係なく、新しい人と身近に接することで刺激を与えられ、成長するのだと思いました。まわりくどい話をするのではなく本質をついて話す。人に好かれようと…、嫌われたくないから顔色をうかがいながら言葉を濁す…。相手に見透かされてしまいます。これから本質をついて話すようにします。また、中西氏を見習い、ITを積極的に活用してまいります。
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日経新聞 私の履歴書 古賀 信行26を読んで
【本文】
2014年(平成26年)6月から経団連の副会長を務めた。就任する時、私はひとりの野村証券の大先輩を思った。秘書として2年間仕えた田淵節也元会長だ。田淵さんは1991年の証券不祥事の責任をとり、経団連副会長を辞任した。90年12月に証券業界初の副会長に選ばれてから、わずか半年後のことだった。田淵さんの副会長辞任について、メディアから「解任」と評されたことがあった。しかし、これは田淵さんが時の経団連会長である平岩外四さんに辞める意向を伝え、受け入れられたものだ。…
【感想】
私もこれから助詞の使い方に注意します。「いたしましても…」と「いたしましては…」では責任の取り方が違ってきます。覚悟を持った発言をし、自分の言ったことには責任を持つ習慣をつけてまいります。「慧可断臂」
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