不動産コンサルティングの住宅比較株式会社

スタッフブログ

2023.05.07

日経新聞 私の履歴書 池辺 晋一郎⑦を読んで

【感想】

ピアノレッスンの過程が描かれておりました。自由すぎる弾き方が治らず、我流で講師を困らせていたようですが、自由にやっていたことで興味が湧いたことへの集中力、創造力や感性が育まれたのだと思いました。作曲家にならなかったら何をやっていたか…。この集中力、創造力があれば何でも成功していただろうと思います。目の前のことに集中して終わらせて次のことに取り掛かる。報告・連絡は後回しにしないですぐ行う。基本的な行動を徹底してまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2023.05.06

日経新聞 私の履歴書 池辺 晋一郎⑥を読んで

【感想】

著者の小学校からの生い立ちが描かれておりました。一年遅れで小学校に入学して、中学1年の学級委員長からリーダー的役職に就くことが当たり前のようにあったと描かれておりましたが、周囲からの信頼があったからこそ皆も疑いを持たなかったのでしょう。その頃から皆をまとめる統率力が身につき、その時の快感が「リーダー的な性癖」につながっているのでしょう。私はなるべく避けて通っていた立場です。周りを見る力、人の意見に耳を傾け、まとめる力は仕事にとっても重要です。気にかけて声をかけてくれる人の意見を聞き、結果を果たすために仕事をしてまいります。

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2023.05.05

日経新聞 私の履歴書 池辺 晋一郎⑤を読んで

【感想】

著者の趣味についてが描かれておりました。全国の路面電車を制覇し、海外でも乗っている点は。十分「乗り鉄」だと思いました。今でこそアプリで乗車時間がすぐ検索できますが、昔は我が家にも分厚い時刻表が置いてありました。著者が架空の時刻表を作ったり、架空地図を描いたりしていた所から、作曲家に通ずる創造力が芽生えたのだと思いました。「データ好き」とも書かれておりましたが、私は曖昧にすることが多いです。苦手、見ないからです。しかし曖昧を直すにはデータで示すことが必要だと感じました。何事もエビデンスを取ることで曖昧を無くしてまいります。

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2023.05.04

日経新聞 私の履歴書 池辺 晋一郎④を読んで

【感想】

小学校時代の著者の背景が描かれておりました。毎日ピアノに触れ、本を読みあさる休養期間を過ごし、健康になって小学校に通えるようになると学校生活を大いに楽しんだのが読み取れました。興味を持つと、何事にものめり込む集中力が養われた時期なのでしょう。後の作曲家人生にも繋がる感性が、学校生活の仲間と過ごした大切な時間に育まれた感じがします。一つのことに集中して物事を終わらせてから次のことに取り掛かる…。基本的なことですが私は出来ておりません。何事も完結させることを実践してまいります。

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2023.05.03

日経新聞 私の履歴書 池辺 晋一郎③を読んで

【感想】

池辺家のルーツが描かれておりました。伯父・展生が音楽好きで、生き方のきっかけの一人だったのでしょう。ピアノを遊びながら触れることで成長していかれました。昨日も書きましたが、触れる回数が多いことで自然と身についていった…。マイホームFPを肌身離さず持ち歩き、触れることで新しい提案の仕方が生まれるかも知れません。日々触ってお客様にとって最良の提案をしてまいります。

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2023.05.02

日経新聞 私の履歴書 池辺 晋一郎②を読んで

【感想】

幼少期の頃を描かれておりました。幼い頃は病弱ながらも身近にピアノがあり、触れることで興味が湧き、楽譜を書くことまでできる様になりました。そのうち先生までも上回る様になり、作曲へとつながって行きました。そこにはなんでも受け入れるという素直さがあったのだと感じました。また、ピアノを毎日触れることで、好きになり探究心が芽生えてきたのでしょう。私もお客様に資金計画を積極的に提案できるよう、日々誰よりも「マイホームFP」に触れ皆さまからの言葉を素直に受け入れて、仕事に取り組んでまいります。

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2023.05.01

日経新聞 私の履歴書 池辺 晋一郎①を読んで

【感想】

今日から作曲家「池辺 晋一郎 氏」です。以下、プロフィールです。

池辺 晋一郎(いけべ しんいちろう、1943年9月15日 – )は、日本作曲家学位は芸術学修士東京芸術大学1971年)。一般社団法人全日本合唱連盟顧問、東京音楽大学名誉教授文化功労者。本名:池邉 晋一郎(読み同じ)。

東京音楽大学音楽学部教授東京音楽大学付属民族音楽研究所所長、横浜みなとみらいホール館長などを歴任した。

人物・来歴[編集]

生い立ち[編集]

茨城県水戸市出身。幼少期は体が弱く、家にあったピアノを使って独学していた。1963年、東京都立新宿高等学校卒業。1967年、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。1971年、同大学院修了。中学・高校時代には、クラリネットを演奏していた経験もある。高校で合唱をしていた際、池田明良、そして3年次には宇野功芳(音楽評論家)が講師をしていた。大学では池内友次郎矢代秋雄三善晃島岡譲に師事する[1]。大学で1年先輩の三枝成彰と親交があり[注 1]、共に当時の若手作曲家のホープとみなされていた。

作曲家として[編集]

東京芸術大学在学中に書いた室内楽曲「クレパ七章」で注目され、武満徹の目に留まり、一時期映画音楽のアシスタントを務めた。10曲の交響曲をはじめとする演奏会用作品の他、黒澤明今村昌平の監督作品をはじめとする映画音楽、校歌NHK大河ドラマ[注 2]やアニメ『未来少年コナン』などのテレビ番組の音楽も多く手がけている。音楽家として海外留学の経験がない世代の最初として、野田暉行らと並び称される[2]

また、アマチュア音楽界、特に合唱とは深い関係を持っている。全日本合唱連盟の役員を長年務める一方で、1984年に混声合唱組曲「悪魔の飽食」を神戸市役所センター合唱団の委嘱で作曲したことがきっかけとなって、うたごえ運動とも交流がある。全日本吹奏楽コンクールの課題曲も委嘱されて作曲している。2007年より、せたがや文化財団音楽事業部音楽監督を務め、イベントの際には舞台上で短いトークを披露する。

N響アワー』(NHK教育テレビ)に2009年3月までの13年間司会者として出演した。日本中国文化交流協会理事長。日本作曲家協議会元会長。日本音楽作家団体協議会元会長。東京音楽大学教授。2007年4月1日より2020年3月31日まで横浜みなとみらいホール館長。ダジャレ好きで有名。広島東洋カープのファン[3]。女優の香川京子は父の従妹である。

九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人[4]、「世田谷・九条の会」呼びかけ人を務めている[5]世界平和アピール七人委員会メンバー。

2022年春の叙勲旭日中綬章を受章[6][7]

幼い頃から、才能に恵まれ順風満帆だったが大先輩に「創作者」とは何ぞや、と言われ劇伴屋時代がありましたが、腐らず耐えて「真の作曲」へ歩み出した著者の素直さがあったからです。「我以外皆我師」自分以外の人、モノすべてが自分の足らざるを教えてくれる、そんな謙虚な心持で生活することで人は磨かれていく…。と感じました。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2023.04.30

日経新聞 私の履歴書 吉田 忠裕29を読んで

【感想】

第二の人生について描かれておりました。三女の朋美さんに目をつけ、諦めずにチーズ職人に仕立て上げた、人を見る眼には家族への愛が感じられ、家族の夢の実現に向けて朋美さんの強い決意が身を結んだのでしょう。著者の黒部ヤギチーズの魅力の語りから、吉田興産のチーズを食べてみたいと思いました。また、富山を愛して尽くし、盛り上げようとする第二の人生もバイタリティに生きている著者に感銘を受けました。第二の人生を見据えることで、今を無駄にしない行動を考えてまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

2023.04.29

日経新聞 私の履歴書 吉田 忠裕28を読んで

【感想】

本社機能の移転、K -タウンの建設、演劇について描かれておりました。令和2年に人材派遣会社のパソナグループが淡路島に本社機能の一部を移転したことが、ニュースを賑わせましたが、16年にはYKK管理部門の約230人を黒部事務所へ異動させ、震災などのリスク分散を進めておられました。それに伴い、街の活性化を考え社員の居住エリアの開発など、著者のバイタリティに驚かされました。1976年より富山県利賀村を拠点に活動し海外でも活動する「劇団SCOT」に共感し、富山の文化・芸術の発展にも力を注いでこられました。富山を愛する「善の巡環」が感じられます。全てにおいて相手の立場に立って考え、スピードを持って行動できるようにっしてまいります。

住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠

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