スタッフブログ
日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ15を読んで
【本文】
ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団とは1972年から付き合いが始まった。ロンドンは大音楽都市であり、メジャーなオーケストラがいくつもしのぎを削り、立派なオペラハウスがある。フィルハーモニアは45年、英国レコード会社EMIの名プロデューサー、ウォルター・レッグによっておもにレコード録音のために創設された。レッグは戦地から引き揚げてきた音楽家も含め一流の楽員をそろえた。フルトヴェングラー、トスカニーニ、カラヤンらが指揮台に立ち、クレンペラーが率いたが、レッグが資金難を理由に解散を決め、楽員の自主運営組織として再出発していた。…
【感想】
楽員から主席指揮者に推薦されるなど、著者には人を引きつける魅力があります。エリザベス女王とお会いされた時も、形式的な挨拶の前に、女王のお体を気遣った言葉をおかけしたことをなど、どんな人にでも分け隔てなく心遣いで接している一面が垣間見れました。
私も日頃から、周囲に気を配り、気づいたことにすぐ行動できるように気を利かせてまいりたいと思います。他人事をなくして自分の事と捉えて動けるようにします。
住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠
日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ14を読んで
【感想】
1969年、私はフィレンツェ五月音楽祭歌劇場でオペラ指揮者として本格的な活動を始めた。早速、フィレンツェに古くからある楽器店でシンメルの4分の1グランドピアノを購入した。このピアノは今でもラヴェンナの自宅にあり、私の勉強を支えてくれている。ここで最初に振ったオペラはヴェルディの「群盗」で、心から敬愛するこの作曲家のオペラを人生で初めて指揮したのだった。演出は63年の歴史的なプロダクションの再演だったが、斬新で理知的なものだった。…
【感想】
著者のような偉大で有名な指揮者でも、地道な練習が必要であること、また突き詰めれば突き詰めるほど、指揮者の奥深いこと。何事にも、いつでも勉強、研鑽が必要であること。仕事も一息つく時間もなく、常に今までやってきた事、新しい事を探っていかなければ退化してしまいます。勉強をルーティン化してお客様に情報を提供してまいります。
住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠
日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ13を読んで
【本文】
ミラノのヴェルディ音楽院で知り合ったクリスティーナと私はすぐに親しくなった。彼女に声楽を教えていたマリア・カルボーネ先生は、音楽院を卒業しまだ定職がない私を伴奏ピアニストにしてくれ、おかげで私は当面の収入を確保できた。出会いから数年がたち、私がカンテッリ・コンクールで優勝し、フィレンツェで五月音楽祭歌劇場の専属指揮者という職を得て生活が安定したこともあって、私たちは1969年6月1日、クリステイーナの生まれ故郷である古都ラヴェンナで結婚式を挙げた。…
【感想】
友人、知人に囲まれた思い出に残る結婚式だと読み取れました。著者の人柄で素晴らしい方々に祝福されたのでしょう。
次回の家族の話にも興味が湧きました。
住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠
私の課長時代を読んで
住宅比較株式会社の吉田です。
【私の課長時代】
DHLジャパン株式会社トニーカーン氏
日本、中国、シンガポールへと拠点を移し、
自社が買収されるというなかで、DHLジャパンでの勤務となり言葉の壁もクリアし、やれる。
自信満々の彼には、年上の部下、上司に対して不信感を抱いている者は多く、苦戦を強いられます。
しかし、着任が半年間は現場に毎日顔を出し、現場の声を大事にするとこで部下の成長が何よりの喜びだということを知ります。
【感想】
自分自身が能力があっても、1人では成し遂げることができない。この記事を読んで1番感じました。
経験や、知識を下のものに繋いでいく。
組織としてレベルアップするには自分の成長と部下の育成。私もそこに挑んでいきたいとおもいました。
住宅比較株式会社
吉田 真樹
日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ12を読んで
【本文】
1967年11月。雨の日だった。シエナの音楽院の練習室に入ると2台のピアノが置いてあり、あの大男リヒテルが立っていた。彼は向かって左側のピアノに向かい、通訳を介して「あなたは右側にすわってオーケストラのパートを弾いてください」と告げた。私は内心、予想した通りだと思った。フィレンツェで予定しているコンサートではモーツァルトとブリテンのピアノ協奏曲がプログラムに組まれていた。リヒテルはブリテンの友人で、彼のコンチェルトをレパートリーにしていたのだ。…
【感想】
年齢に関係なく、何事にも対処し、統率することで、オーケストラに信頼され、依頼されれば断らずに受ける。著者の謙虚な姿勢が人を惹きつけるのでしょう。巨匠のミスを観客に悟られることなくカバーすることで、さらに信頼を得る…。巨匠でもミスしたところをチェックして同じ過ちをおかさないようにしています。私もしっかり手帳に落とし込み、同じミスを起こさないように注意してまいります。
住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠
日経新聞 私の履歴書 赤松良子12を読んで(休刊日のため)
【本文】
1964年4月、米国研修を終えた私はロンドンに飛んだ。もともとの研修は半年間だが、費用を自分で負担し、約2カ月の欧州視察をプラスすることができた。「中高年労働者の雇用問題」をテーマに、各国の労働関係の役所やジュネーブにある国際労働機関(ILO)本部などを訪問した。でも自腹だから、自由もある。フランスではもっぱら「芸術活動」。毎日、美術館を見て歩いた。…
【感想】
自ら手を上げ、試験に挑んでつかんだ海外研修は、人生のターニングポイントといえるかもしれない。…今更ではありますが、人から言われてからやるのではなく、自分から手を挙げつかんでいくことをしなければ、新しい道は切り拓けないと感じました。お客様もこちらから導いていかなければ、時期も、場所も、決まりません。積極的に動きます。
住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠
日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ11を読んで
【本文】
ヴェルディ音楽院を卒業する1966年、私が指揮したのはあのナポリ楽派、ジョヴァンニ・パイジェッロの「マレキアーロの居酒屋」というオペラだった。これが私の生涯初めてのオペラ指揮で、クリスティーナも歌手として加わっていた。リハーサル中に忘れられない「事件」が起こった。私は音楽院の学生たちのオーケストラを右手で指揮し、左手はオーケストラピットの手すりに置いていた。客席にいたヴォットが近づいてきて突然、私の左手を叩いたのだ。…
【感想】
著者も一流としての信頼を得るために、恩師の厳格な指導があったことを知りました。「自ら厳しく課す勉強と、節度ある態度が求められる」これは、どんな職業でも同じことですが、著者は一度指導されたことは吸収して同じ過ちをおかさなかったであろうと思われますが、私は何度も繰り返します。少しずつでも改善できるよう、日々自問自答しながら進んでまいります。
住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠
日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ10を読んで
【本文】
1962年11月にミラノに着いた私は、明るくて家庭的な南イタリアとは全く異なる北イタリアの雰囲気に戸惑った。ヴェルディ音楽院で師事することになったヴォット先生はよそよそしく、冷たい感じがした。まず私にモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」序曲を勉強してくるようにと指示した。1週間後に学生オーケストラを指揮し、思うようにできなくて絶望的な気分になったが、とにかく先生の指揮科のクラスに入ることを許された。…
【感想】
著者に出会った恩師たちが、才能を見い出しさらに開花させるよう新しい先生を紹介してくれる…。人との出会いを大切にし、活かして自分も成長し、感謝する。恩師が大切にしていることは、基礎をみっちり叩き込むこと。全てに於いて基礎がしっかりしていないと成長できないと思いました。どうしても慣れがあり、お客様もわかっているだろうと、大切な部分を省いてしまう傾向があります。お客様との接する基礎から今一度、見直して日々訓練してまいります。
住宅比較株式会会社 浦和店 赤松 誠
日経新聞 私の履歴書 リッカルド・ムーテイ9を読んで
【本文】
ナポリ楽派は20世紀初期まで川の流れのように続いていた。ここでは私がよく取り上げる作曲家、マルトゥッチの名前を挙げたい。彼はナポリで教育を受け、1909年に没した。作曲だけでなくドイツ音楽のイタリアでの普及に努め、ベートーヴェンの第九のナポリ初演、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のイタリア初演を果たした。マルトゥッチはナポリのピアノ教育の創設者というべきタールベルクの弟子だった。…
【感想】
音楽院のナポリ学長からの一言で指揮者を目指すようになった著者ですが、基礎をつくるうえで、作曲の勉強を和声楽、対位法、管弦楽法、ヴァイオリンなどを学んでいます。何事も基礎が大事ということを恩師の方々から教わり、多方面から吸収して指揮者として成功されました。私もお客様に役立つ情報、色々なことに興味をもち、挑戦することで、会話のヒントになる情報を入手し、信頼できる人間を創ってまいりたいと思います。
住宅比較株式会社 浦和店 赤松 誠