不動産コンサルティングの住宅比較株式会社

スタッフブログ

2021.08.10

宅建勉強記録

令和3年8月9日(月)7時〜8時、19時〜23時

住宅比較の吉田です。

⚠︎間違えた問題です。

・宅建業者が建物の貸借の媒介を行う場合、当該建物が既存の建物であるときは、既存住宅に係る住宅の品質確保の促進等に関する法律第6条第3項に規定する建設住宅性能評価書の保存の状況について説明しなければならない。

正解は、×(誤り)です。

建物貸借の媒介の場合、当該事項の説明は不要です。

本問は、書類関係の保存の状況についての重要事項説明。

既存の住宅の場合、宅建業者はある一定の書類(建築確認申請書、確認済証、検査済証、建物状況調査結果報告書等)について、その書類の保存の状況について説明しなければなりません。

この保存の状況は、当該書類が有るか無いかについて説明すれば足ります。

それぞれの書類の内容まで説明する必要はありません。

2021.08.09

般若心経 心無軽罣礙(しんむけいげ)

心にこだわりを持たないという、菩薩の心を語っています。こだわらないとは、

自分の心がつくり上げた執着に束縛されないことで、この心境になればすべてに対して自由自在です。

競争を原則とする社会に生きている私たちはには、こだわりの心を捨てることは難しいのですが、

空っぽになれたら本当に自由になれます。

                        春日部店 赤松 誠

2021.08.02

般若心経 依般若波羅蜜多故(えはんにゃはらみつたこ)

「般若波羅蜜多に依るが故に」とは、仏の智慧の中にいる安心な心の状態をいっているのです。

つい目先のことに気持ちを奪われ、つい欲望に負けてしまう私たちにとって、智慧の完成など簡単なこととは

とても思えません。それでも智慧いうものを知り、智慧を説く般若心経を唱えれば、智慧に一歩近づくのです。

                            春日部店 赤松 誠

2021.07.26

般若心経 菩提薩た(ぼだいさつた)

菩提薩たはサンスクリット語のボーディサッタの音訳で、仏のこのうえないさとりを求めて修行する人のことです。

自分の修業をする自利と、他人を救っていく利他と、この二つの行をする人を菩提薩たといい、

これを短くして菩薩といいます。発心即菩提というように、仏の道を歩きはじめた人はすべて菩薩です。

                                春日部店 赤松 誠

2021.07.19

般若心経 以無所得故(いむしょとくこ)

得ることがないからこそというのは、たとえば坐禅(ざぜん)をつづけて何かをさとったような

気分になることがありますが、実は何も得ていないというようなことなのです。

そもそも、得る何ものかなどありえません。禅ではそれをとらわれる心という意味で、魔心(ましん)

といいます。空とは邪念などはいりようもない世界なのです。

                           春日部店 赤松 誠

2021.07.11

般若心経 無智亦無得(むちやくむとく)

苦しみを知ることもないし、苦しみを得ることもないというのは、

そもそも苦しみが生まれてくるところを見れば、よく理解できるでしょう。

苦悩とは、心の奥に染みついて離れず心そのものを動かす無明から、発生するのです。

無明など本来存在せず、人の執着する心が無明をつくってしまうのです。

                  春日部店 赤松 誠

2021.07.04

般若心経 無苦集滅動(むくしゅうめつどう)

四つの真理である四諦(したい)とは、苦しみを知り、苦しみの成り立ちを見て、苦しみを乗り越え、

苦しみを消してしまうということです。しかし、そうすることにこだわり過ぎると、

むしろコントロールできなくなって、苦しみが湧き上がってきます。

空の世界観の前では、苦ということは人の心が呼び寄せた実体のないものなのです。

                    春日部店 赤松 誠

2021.07.04

般若心経 亦無老死尽(やくむろしじん)

老いや死にとらわれなくなれば、そこには充実した時間があるということです。

若いというほうに絶対的な価値を置けば、老いとは苦しみでしかなくなってしまいます。

お釈迦さまは八十歳の弱った老体で最後の旅をし、最後の最後まで道を説き、死が苦しいなどと

一言もおっしゃらず、これで修行が完成すると喜んで入滅されました。

                          春日部店 赤松 誠

2021.06.28

般若心経 乃至無老死(ないしむろうし)

老いも死もないと知ることは、老いや死についてまわる苦しみを消すことができるということです。

老いは体が弱まりますが、弱った体力で若者と同じように行動しようとするから苦しいのであって、

老人は人生経験豊かな滋味深い楽しみがあるはずです。

死があるからこそ、生も充実するはずなのです。

                  春日部店 赤松 誠

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