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般若心経 波羅羯諦(はらぎゃてい)
波羅とはもちろん般若波羅蜜多のことで、「智慧の完成へいける者よ」という意味です。
そこにいけばどんな気持ちになるかという自分の期待を込めて、
私は「苦しみのまったくないところへ」と勢いよくしました。
この文章を書くのは私にとって写経をすることと同じだと感じました。いい修業ができました。
春日部店 赤松 誠
般若心経 羯諦 羯諦(ぎゃてい ぎゃてい)
ここまで、どちらかというと頭で考え、頭で受けとめてきたところがあるかもしれません。
しかし、ここから先は真言の不思議な力に身をまかせるのです。
身と心とで、力一杯唱えるのですよ。ギャテー、ギャテーとは、「いける者よ、いける者よ」という意味です。
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般若心経 故説般若波羅蜜多呪(こせつはんにゃはらみつたしゅ)
無上の真言は、智慧の完成によってこのように説かれたという意味です。仏教の認識、
ことに般若心経の空観による認識は、世の中の成り立ちを考えるうえで誠に魅力的です。
そうではあるのですが、仏の教えは単なる認識論ではありません。その中心に人生をよりよく生きるための道、
すなわち信がなければならないのです。
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般若心経 即説呪日(しょくせつしゅわつ)
すなわち呪を説いていわく。さあここでその真言をいいますよという意味です。
ここまで文章を書いてきた私も、読んできてくださったみなさんも、
この世の真実を知るための菩薩の修行をしてきたのです。書いてみて、
はっきりとわかるということがあるものです。
写経とは、菩薩の修行を何度でもすることです。
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般若心経 真実不虚(しんじつふこ)
人の意見をたくさん聞いたとして、どの意見も真実だとおのおのがいい立てたら、
私たちは迷うばかりです。真実の教えというものは、本来はたったひとつしかないはずです。
それはつまり、世の中の真実を正確に余すところなくとらえた言葉です。
般若心経とは、世の中の中心の中心をとらえた教えなのです。
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般若心経 能除一切苦(のうじょいっさいく)
このように智慧を完成させれば、すべての苦しみをよく取り除いてくれるのです。
人はたいてい誰でも、いうにいわれぬ苦悩を抱えているものです。
その苦悩から逃げたり、考えないようにしたのでは、いつまでも苦しみはつづきます。
この苦しみが湧く根源を探って、苦しみの原因を消さねばなりません。
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般若心経 是無等等呪(ぜむとうどうしゅ)
これこそほかとくらべることのできない真言であるということです。
たった二六二文字の、掌(てのひら)の中にはいってしまうような般若心経なのですが、
実はこの宇宙のすべてをいいつくしてしまうほど奥深な哲理なのです。
その哲理の山脈の頂に、とうとう私たちは立ったということなのです。
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般若心経 是無上呪(ぜむじょうしゅ)
般若波羅蜜多の六つの文字は、この世においてほかとくらべることのできない、
このうえない真実の言葉であるということです。
「はんにゃはらみつた、はんにゃはらみつた」と、私たちはいつでも唱えているべきです。
人の思想というものは、いつの時代も言葉によって伝えられてきたのです。
最高の言葉が真言なのです。
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般若心経 是大明呪(ぜだいみょうしゅ)
「明」というのは、もちろん明るいということで、ものごとの真理がよく見通せ、
やがてはさとりを得るというような意味に使われています。
智慧の完成の光が、苦しみや悩みや迷いを生みだす根源である無明に射し込むと、
やがて闇(やみ)が流れだしていき、無明も消えるというような意味です。
苦悩の根源が消滅するということです。
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