スタッフブログ
日経新聞 わたしの履歴書 吉野彰 を読んで(18)
ユーザーワーク
デジカメやビデオに照準 本格的な事業化へ陣容拡大
「50コマの連続撮影ができる新方式のカメラを考えているんです。それを実現できる小型・軽量の電池があるとよいのですが」
東京・日野市にあるカメラメーカー、小西六写真工業(現コニカミノルタ)の開発拠点で、担当者に打ち明けられたときには正直驚いた。当時、電池にそんなニーズがあるとは思いもよらなかった。
新型リチウムイオン電池の試作が進み、以前からつきあいのあった小西六に電池の性能を評価してもらうユーザーワークが始まった。
ユーザーワーク、お客様がどう使い、使い勝手や評価は、何が改善できれば良いか、自分の考えではなく、お客様の声が最優先であることを再度認識いたしました。
お客様に対して、相手に対してどうかということを最優先と考え仕事をしていこうと思います。
住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉
日経新聞 わたしの履歴書 吉野彰 を読んで(17)
死の谷
正極材料量産へ窯元訪問 おきて破りの外注 仲間が打開
「使い終えた窯をお借りできないでしょうか」
岐阜県土岐市の郊外を歩くと、窯元がいくつもある。美濃焼として知られる茶わんや皿を焼く窯である。私はそのひとつを訪ね、窯元の主とこんな交渉をしていた。1987年のことだ。
土岐を訪ねたのは、新型リチウムイオン電池のプラス極(正極)の材料の量産が壁に突き当たっていたからだ。電池の原型はほぼできあがり、マイナス極(負極)に使うカーボンは必要な量を確保するメドも立った。
何かを成し遂げようとするときは常に困難な壁にぶつかると思いました。誰もがやったことがないことや今の自分ではできないかもしれない難しいことを成し遂げようとするのだから当たり前です。吉野氏の研究でも自分たちの思惑とは違う周囲の意見が出たりと大変なことが何度も何度も起きているとのことでした。
何かを成し遂げるという経験をたくさん積み、お客様に対しても周囲の方に対しても一つ成長した対応ができるようになりたいと思います。
住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉
日経新聞 わたしの履歴書 吉野彰 を読んで(16)
黒ダイヤ
不足材料 他社から入手 3億円強奪事件で聴取受ける
「どんな目的で使うのか、お話しいただけないとサンプルはお渡しできません」
「まだ開発途上の企業秘密なので、それだけは勘弁してください。1キログラムだけでもいただけませんか」
「取引単位は船1隻です。ますます無理ですね」
「そこを何とか……」
1987年、東京駅八重洲口に近い興亜石油(現ENEOSホールディングス)で、私は興亜の営業担当者に平身低頭で頼み続けていた。リチウムイオン電池の試作品をつくるのにこの会社が提供する八重洲の黒ダイヤがどうしても欲しかった。
他社のサンプルを入手するには使い道を伝えるのが礼儀である。しかし、企業秘密のため伝えることはできない。
交渉は平行線を辿り、毎日のように電話で頼み込んだ。・・・
相手に熱意が伝わると動いていただけると思いました。お客様に対してもたくさん接触して、より深く相手の方のことを知り、物件のことも深く深く調べ最適なものであるかを伝えていきます。
住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉
日経新聞 わたしの履歴書 吉野彰 を読んで(15)
爆発試験場
鉄塊や銃で安全性実験
宮崎県延岡市の中心部から東へ車で約20分。川を渡ると小高い丘に囲まれた広大な工場がある。敷地は東京ドーム10個は優に収まる約15万坪。人里離れた場所に城跡のような土塁が築かれ、普通の工場とはどこか雰囲気が違う。
旭化成の東海(とうみ)工場(当時)。土木工事の発破に使うダイナマイトなど、いわゆる産業火薬の主力工場である。昭和の初め、旭化成は硝酸の量産に成功し、それを原料に火薬製造(化薬事業)に乗り出した。
あらゆる予測を立て、それについての対策や検証を行なっていく。お客様に対してもここまでやったと自分で判断していることがあります。もっとお客様のことを考え、様々なケースに対応できるよう準備していこうと思います。
住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉
宅建追込み! その④
明日13時から宅建試験です!
最後の追込みで戸ヶ崎講師のもと、一問一答で復習しています!
明日の今頃は、解答速報でほぼ合否がわかります!
最後まで詰め込みましょう!
春日部店 赤松 誠
日経新聞 私の履歴書 吉野彰 を読んで(14)
シン炭素繊維
難題の負極、新材料が打開 延岡の研究拠点で幸運な発見
「炭素材料を探しているなら、延岡に行ってみたらどうですか」。展望が開けたのは同僚のこんな助言からだった。私たちの研究をマネジメントしている研究開発本部で話をしているときのことだ。
1984年、リチウムイオン電池の研究は壁に突き当たっていた。マイナス極(負極)にポリアセチレン、プラス極(正極)にコバルト酸リチウムを使う電池は試作できた。しかし、小型化が困難で、負極には違う材料を探さねばならなかった。
困難を乗り越えるために何が必要か、どんなアドバイスもしっかりと取り入れ、一歩一歩進むことが大切と知りました。
お客様に対しても、理想を叶えるため、一つ一つ壁をあらゆる方法で乗り越えていきます。
住宅比較株式会社 浦和 竹内 智哉
私の履歴書 吉野彰 を読んで(13)
悪魔の川
「ほしいのは小型の電池」 厳しい注文 他の材料探しへ
「軽量化という点ではほぼ満点ではないか」。そんな自負があった。部下と喜び合い、会社にもそう報告した。
1983年、最初のリチウムイオン電池の原型ができあがった。繰り返し使える2次電池である。電気を通すプラスチックであるポリアセチレンをマイナス極(負極)に、プラス極(正極)にはコバルト酸リチウムを使う電池だ。充電型としては当時主流のニッケル・カドミウム電池と比べ、重量が3分の1と軽い。
試作品作りも順調に進んだ。・・・「うちが本当に欲しいのは小型の電池です。軽量化だけでは物足りませんね。サイズも3分の1にできないでしょうか。」なんとも厳しい注文だ。
ユーザーのニーズは軽量化と小型化の両立であると承知していた。軽量化だけでも売り込めないかと考えたが、やはりだめだった。
自分の思惑と結果は相違する、結果を判断するのは相手である。物事を客観的に正しく判断し、それに向かって進んでいかなければ相手からの評価はいただけないと認識いたしました。
自分はやっているつもり、これが限界、ここまでやればと自分で判断してしまうことが多々あります。お客様がどう思うかを真意を掴み、お客様が認める行動をしていきます。
住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉
私の履歴書 吉野彰 を読んで (12)
正極材料
苦難の日々に論文と遭遇 グッドイナフ博士との出会い
1982年が暮れようとしていた。この年の10月、ソニーが世界初のCDプレーヤーを発売した。音楽といえばアナログレコード全盛だった時代が幕を下ろし、デジタル時代の到来を告げていた。街中には細川たかしの「北酒場」が流れ、年の瀬に彩りを添えていた。
私はというと悶々(もんもん)とした日々を送っていた。電気を通すプラスチックであるポリアセチレンをマイナス極(負極)に使い、繰り返し使える新型2次電池を開発
物事は全て順調に壁に当たることもなく進むことは稀であると感じました。吉野氏のような方でも壁に当たっている、それを何かのきっかけで乗り越えて結果を出しているのであると思いました。
私もお客様に対して、壁に当たった時に何かのきっかけになれるよう準備、調査をしていこうと思います。
住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉
日経新聞 私の履歴書を読んで 吉野 彰氏 (11)
最初の試練
研究の意義 厳しく問われ 吸収合併 研究継続に危機
始動した電池の研究はすぐに試練に直面した。1982年3月、いつものように川崎市内の研究所に出勤すると、驚きのニュースが待ち受けていた。
当時私が所属していた研究部門は、旭化成と米ダウ・ケミカルが共同出資する旭ダウの一部門。ところが米ダウが合弁を解消し、旭ダウは10月に旭化成に吸収合併されるという。
社内で正式な告知はなく、多くの社員は新聞記事で知らされた。皆が不安を口にし、研究部門がどうなるか私も心配だった。
環境の変化で当たり前にできていたことができなくなる。ただ自分のやりたいように行っていたことがやりたいようにできなくなる。もともと自分のやりたいようにやっていた環境がただの温室であり、もっと改善できた・結果をだせた・もっと喜んでもらえたと、周りの意見を聞き入れ、どうしたら結果が出るか、お客様に喜んでいただけるかを根本において考えていきます。
住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉