スタッフブログ
日経新聞 私の履歴書 稲葉善治 を読んで(5)
2022.01.06
池田敏雄さん
社宅に風変わりな「天才」 国産コンピューター先駆者と遊ぶ
1953年、父は下館工場から川崎市中原の本社工場への転勤の辞令を受けた。先に触れたように富士通信機製造で機械系の技術者は傍流だったが、鼻っ柱の強い父は主流の電気系の先輩にも怯(ひる)むことなく議論を挑んだ。いつしか「あいつは後輩のくせに生意気だ」と不評を買い、何かと衝突していたらしい。
それを聞いた当時常務の尾見半左右さんが「そんなことでは本人にも会社にも良くない」と父の転勤を決めた。
生意気だな、そんなことでは本人にも会社にも良くない。どうなることが良いことか良くなることがを考える必要があると考えました。
お客様に対しても何が良いのかを考えて提案致します。
住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉