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日経新聞 私の履歴書 赤松良子 を読んで(4)
2021.12.04
東京へ
津田塾への思い断ち難く 赤飯炊き幸運祈ってくれた母
1945年8月15日、疎開先で終戦を迎えた。大阪・天王寺の実家は、6月の大空襲で焼け落ちていた。父が若いころから描きためていた絵もほとんどがアトリエごと失われた。
父はどんなにがっかりしたことだろう。それでも終戦で「これからまた良くなる、だんだん良くなる」と、前向きに言い続けていた。
実際、世の中は明るくなった。もう空襲を心配しなくてもいい。新しい時代がくる、という解放感があった。
自分がいる環境、生活ができる・仕事ができる・勉強ができる・やりたいことができる環境が当たり前としていました。今の現状がどれだけ恵まれているのか、認識しなおそうと思いました。
お客様に対し、もっと多くのことができる環境にいるのに準備せず行わない、ここまででいいかとしてしまうことがない様にできることを探し続けていこうと思います。
住宅比較株式会社 浦和 竹内智哉